2014年08月31日

【NHKひどすぎ】宇都宮鎮房は「城井鎮房」のこと。

本日(8/31)の「軍師官兵衛」の「秀吉のたくらみ」の内容はヒドかった。


何がひどいって、九州征伐であれだけ盛り上げておきながら、その要ともいえる戸次川の戦いと根白坂の戦いを「なかったこと」にしてしまったことです。この2つの戦いに全く触れない「九州征伐」なんてあり得ない。


ドラマでは島津が秀吉の軍勢に手も足も出なかったように描かれてますが、秀吉の本隊が出てくる前の序盤戦では島津は健闘しております。「戸次川の合戦」はその1つです。


秀吉の命令で出陣した讃岐国主の仙石秀久の率いる数万の四国勢の軍勢を相手に、対する島津家久(当主義久の弟)は1万数千を以て四国勢を蹴散らし、十河存保(讃岐十河二万石)、長宗我部信親(土佐二十万石長宗我部国親の嫡男)の二人の大将が討死にしています。


この敗戦により、秀吉本隊が実際に九州入りし、黒田官兵衛は日向路(宮崎ルート)の総大将羽柴秀長の一番隊を率いて島津と戦ったのが「根白坂の戦い」です。島津軍4万に対し、秀吉軍は10万。この戦に島津は大敗し、当主義久は降伏を決意します。


このあたりのことが、ぜーーーんぶ、すっ飛ばされていて、あれじゃまるで小学生の歴史の授業のスライドレベルの内容です。NHKのドラマ制作班はこんなレベルのものしか作れなくなってしまったのか、と悲しくなりました。


そして、今回最もショックだったのが「宇都宮鎮房」という武将の存在です。


最初「これ、誰?」と思いました。
いや、宇都宮氏という名族がいたことは知ってますよ。でも「豊前の国人領主にこんな武将いたっけ?」という感じでした。


その疑問は終わりまでずっと続き、最後の「官兵衛紀行」で城井谷と城井ノ上城が出て来たあたりで「あ、もしかしてこれは......城井鎮房のことか?」とようやく気づきました。

城井鎮房は、豊前国城井谷城の城主で、当時は強弓の達人として有名な国人領主です。
ですが、

彼を宇都宮鎮房と呼ぶようなドラマは初めて見たような気がします。

確かに城井氏の出自は豊前宇都宮氏です。鎌倉時代の宇都宮信房の頃に、領地である豊前国仲津郡城井郷に城井谷城を築城し、南北朝時代の宇都宮冬嗣の頃には城井氏を名乗り始めていたようです。


その時代から200年ぐらい後が、「軍師官兵衛」の世界です。
冬嗣の子は皆、城井氏を名乗っており、それから鎮房に至るまで、ずっと城井氏のはずです。
なのに、なんでわざわざドラマの劇中で、宇都宮の姓を名乗る必要があったのか。さっぱり分かりません。

しかも官兵衛紀行で城井谷と城井ノ上城を紹介しておきながら「城井」という姓について全く触れないというのもなんだか強烈に違和感を感じます。

なんか恣意的に歴史を歪められているようで非常に不愉快な一時間でした。
ラベル:戦国時代
posted by さんたま at 22:08| Comment(2) | 軍師官兵衛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月24日

【「軍師官兵衛」閑話休題】吉川元春の「嫁取り」に見る人間味

今日(8/24)の「軍師官兵衛」は、吉川元春がクローズアップされてました。
戦国時代には名だたる戦国武将が数多く登場しますが、その中でも吉川元春は間違いなく好きな武将の一人です。

吉川元春は、中国地方最大の大大名・毛利元就の次男で、安芸(広島県)の国人領主・吉川家の当主です。ちなみに彼の次男・吉川広家は、後に関ヶ原の戦いで、安国寺恵瓊の言葉にホイホイと乗って西軍総大将に祭り上げられた、毛利家当主毛利輝元を裏切って、毛利家を周防長門三十六万石の大名(いわゆる長州藩)として存続させました。広家がいなければ、明治維新も起きなかったかもしれません(言い過ぎ?)

話を元に戻します。

吉川元春は、武勇・戦術・知略に優れた武将でありながら、陣中で「太平記」の写本(いわゆる吉川本)を完成させるという文武両道の武将でした。また、剛毅な性格で、豊臣秀吉に仕えるのが嫌だったので、隠居して息子の元長に家督を譲ったへそ曲がりであります。

この吉川元春には、彼の人間性を表した有名なエピソードがあります。
それは彼の「嫁取り」でした。
今日はそのことを書いてみたいと思います。
以下のストーリーは、NHK大河ドラマ「毛利元就」(1997年)の1シーンを参考に構成してあることを、あらかじめお断りしておきます。

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元春の父・毛利元就は、周防守護大内義隆と共に、出雲守護尼子晴久の居城である月山富田城を攻めた際、味方であった安芸国人領主吉川興経に裏切られ、壊滅的な打撃を受けました。
九死に一生を得た元就は、吉川家に対する報復を計画します。それは、吉川家の領地を横領し、元就次男毛利元春(治部)を吉川家の養子に送り込んで、吉川家の乗っ取るというものでした。

これに対し吉川興経は、同じ安芸の国人領主熊谷信直(伊豆守)と同盟を結び、毛利氏に対抗しよう画策します。
吉川興経と熊谷信直との間に同盟が結ばれれば、毛利・吉川両者間の緊張は一気に高まり、元春の養子入りは勿論ご破算になるため、吉川家の勢力を我がものにしたい元就にとっては、これは見過ごせない事態でした。

「何か熊谷殿の弱点はないものか…」
父・元就や兄・隆元が、毛利家執政担当の志道広良と三人で、吉田郡山城の大広間で対策を案じていました。
そこへ槍稽古で汗だくの上、上半身裸の元春がいきなり現れ

「父上!いい考えがござる!」
とドカッと座り込んだのです。

「いい考えじゃと?」
元就は「また何を言い出すか…」と呆れながら、白湯を呑みながら元春に尋ねました。
元春は嬉々として
「父上、某、熊谷伊豆守殿の娘を娶りとうございます!」
と言い切ったのです。

これにギョッとする隆元。
白湯を吹き出す元就。
志道広良に至っては、口をポカーンと開けています。

三人が驚くのも無理はありません。
何故なら、元春が娶りたいと言った熊谷信直の娘は、安芸国では知らぬものはいないと言われる超不器量者で、誰もがのけぞる醜女(しこめ)だったからです。

広良は「治部殿ほどの方が娶る女子ではない」と言って諦めさせようとしますが、

「いやいやその必要はあるのじゃ。誰もがのけぞる女子を嫁にすれば、熊谷殿は毛利に恩義を感じまする。熊谷殿は娘が不憫で涙していると聞きまする。この弱みを活かさぬ手はございませぬ」

元春はノリノリで熱っぽくこの婚姻の必要性を語るのでした。

「確かにそなたの言う通りじゃ。熊谷殿が毛利の寄騎になってくだされば、これほど力強いものはない。」
兄隆元は弟の性格を多少は分かっているので、一定の理解を示しつつも
「されど夫婦となれば、毎日見る顔じゃぞ。」
顔をしかめてさりげなく反対の意見を述べました。
それに対しても元春は「はっはっは」と笑いながら

「兄上。美人は三日見れば厭きますが、不器量は三日見れば馴れまする」
と一蹴(笑)。

「男というものは、いかなる妻を選んだかで、男の器量が決まるものじゃ」
と父・元就もそれとなく再考を促しますが、

「父上。妻の価値は顔ではありますまい。顔に拘る男は男の価値がござらぬわ」
とあっさり論破(笑)。

「妻の価値が心と思う男は、まだまだ甘もうござるぞ」
広良も若さ故に暴走として抑えようとしますが
「妻の価値は顔でも心でもござらぬ。お家の危機を救うか否か、それだけじゃ。」
と頑として意見を変えようとしない元春でした。

三人の反論はすべて元春にやりこめられましたが、さりとて、この場に誰も首を縦に振るものは一人もいませんでした。そして、これがまた、元春には面白くなかったのです。
三人とも全く賛成の気配がないのを見た元春は

「方々のご意見、よう分かり申した!この話、自分で進めますゆえ、ご心配なく。御免!」
と憤慨して大広間から出て行ってしまったのでした。


元春は、その日の内に熊谷信直の居城・三入高松城(広島県広島市安佐北区可部)をアポなしで訪れました。
いまや安芸では飛ぶ鳥落とす勢いの毛利家、しかもその次男坊の突然の面会に、当たり前ですが、熊谷信直は当惑を隠せませんでした。

「これは治部殿、今日はまた一体何用で?」
広間に入るなり信直は開口一発こう言った。元春は信直が広間に入ってきた時に頭を下げたまま動きません。

「もしや…吉川殿との一件にござるか」
「違いまする」
元春は信直の言を否定すると、下げていた頭を上げて、信直を見つめて

「熊谷殿、美々殿と某との縁組、お考えいただけませぬか?」
と前置きもなしに直球で言い放ったのです。

熊谷信直の目がギョロと動き、元春を睨みつけました。
「お願い致しまする!」
と元春が再び頭を下げますが、信直は顔背けで
「お帰り下され」
と吐き捨てるように言いました。そして
「某も馬鹿にされたものじゃ」
と言葉を続けると
「確かに、ワシの娘・美々は安芸国の津々浦々に聞こえた不器量者じゃ。なれどそれにつけ込み、ワシを調略しようとする心、下の下じゃ!」
と怒鳴りながら振り返った信直の目は、これ以上にないくらいに怒りに満ち満ちて血走っていました。

「今まで迷うておったが…今、決め申した。某は吉川につき申す」
口をあんぐりと開けて驚く元春。
「かように下卑た考えを持つ毛利と組んでは、熊谷までが汚れるわ!」
そう言って広間から出ようとする信直に対し、元春はその先を遮り
「お待ちくだされ!某よりお話させて頂きたい、美々殿に会わせてくだされ!」
と懇願しました。
「くどい!!」
と一蹴する信直。

「治部殿。これだけは言うておく。美々は器量は良くないが、気立ての良い賢い娘じゃ。男親というもの、かような娘が嫁ぎ先で馬鹿にされたり、忍耐を強いられるくらいなら、手元に置いておきたいものじゃ!」
その時、一人の女性がササッと信直の脇から広間に入り、ストンと座ると、ペコッと頭を下げたのです。

「お初にお目にかかります。美々にござります。申し訳ございませぬ。漏れ聞いてしまいました。」

美々の顔を見、アゴが外れんばかりにあんぐりとする元春だったが、慌てて威儀を但し、深々と頭を下げた。
「毛利治部少輔にござる。某、確かに毛利の安泰を願い、縁組を考えました。毛利と婚姻関係を結べば、熊谷殿は吉川にはつかぬであろうと考え、図りました。」

しかし、美々はキョトンとして
「かようなこと…今の世の常でございます」
と答え、再び元春を驚かせました。

「治部殿。父上が怒っておるのは、そなたが、私の不器量に付け入ったというところでございます」
美々は顔色一つ変えず、元春を詰問モードに追い込みはじめました。
元春は頬をひきつらせながら、美々の次の言葉を待ちました。
「私の不器量に、付け入りましたのか?」
元春は目を左右に泳がせた後、瞑目し、頭を下げながら

「つ…付け入りました…」

と心情を吐露しました。
美々は顔色ひとつ変えませんでした。
「正直…しめた〜!…と思いました。」
元春は恐る恐る顔を上げると、美々は目を半眼にしながら、睨みつけて言いました。

「治部少…お立ちなされ」

いきなり呼び捨てにされ、元春は「なんじゃ?」という顔をしたが、渋々立ち上がった。
「後ろ姿を見せてくだされ」
元春は溜息ひとつくと、クルッと後ろを向いた

その姿をジーッと見つめる美々。やがて顔にほんのり笑みが戻り
「お座りくだされ」
と俯きながら言いました。
元春は正面を向き、そのまま座りました。
「ご無礼を申しましたが、無礼はおあいこでございましょう」
美々は元春に一礼すると、信直に向き直り

「父上、美々はこの毛利治部少輔殿に嫁ぎとう存じます」
と言いました。

「美々…」
信直は「愚かな…」と言いそうになるところを、美々の言葉がそれを遮りました。

「後ろ姿を拝見しまして、治部殿のお姿は輝くばかりに美しゅうございました。美々のような不器量がこのような輝くような男と婚姻を結べば、お家の為だけではなく、世の不器量たちに光を与えまする。美々は不器量であればこそ、いつでも笑顔でいたいと思うて生きてきました。笑顔であれば必ずいいことがあると誰もが力づけられるはずです」

元春は、この美々の聡明な見識に言葉を失いました。
その人柄に触れ、元春は満足気に頷き、笑みを浮かべたのです。

「治部殿、美々は立派に妻の役目を果たしますぞ。美々に満足のいかぬところは、美しい側室をおけば、それでよろしゅうございます」

この一言がいけませんでした…。
今まで満面の笑みだった元春の顔から、みるみる笑顔が消え、変わって失望の色が次第に露骨に現れてきたのです。

「申し訳ないが、某、帰らせて頂き申す」
「なんと?」
今度は信直が慌てました。
「いくら笑顔を見せても、今の美々殿の心根、なんとも情けのうござる!」
今度は元春が目を血走らせて、美々に食ってかかったのです

「美々殿、某、側室を置こうと考えた事は一度もござらん。父・右馬頭(元就)にも側室はおらぬ。某、娶ったからには終生美々殿だけを見て生きんと思ったに、最初から側室などと言われるとは見くびられたものよ!某、不器量はなんてことないが、最初から己を哀れな者と見切っている者は見るのも嫌じゃ!」

そう吐き捨てるように言って、
「御免!」
と言って退出しようとしましたが
「治部殿!」
と美々の一喝が元春の足を止めました。

「女の器量ばかりを問われる男の世にあって、不器量な女子は、己を見切ることで、ようやっと己を支えることができまするのじゃ。見切れば楽になりまするのじゃ。美々は見切って、笑って生きようと頑張ることを誇りとしておりまする。このことは、誰にもとやかく言わせませぬ!」

美々は一歩も引かない剣幕で元春の眼をジッと見つめた。
元春も目をそらさず、ジッと見つめていたが、やがて天を仰ぎ見ると

「あー!まったくもう!」

と大きな声で独り言を言い放つと、美々に向き直って両肩を掴み
「なんで、そう、肩に力を入れるのじゃ!」
と諭すように言った後、笑顔を浮かべ
「肩の力を抜きなされ」
と優しく言葉をかけると、美々の両目に大粒の涙がポロポロと浮かびました。

「治部殿」
二人のやり取りを見ていた信直が、元春に声をかけました。

「治部殿、よう…わかった。某は今日、そなたに教えられた。美々は己を哀れな者として考えすぎ、必死に笑ろうたり強がったりすることがあった。どうか素直な笑顔が出てくるよう、娘をよしなにお願い致しまする」

元春は威儀を糾して着座し、信直に向き直ると、手を付いて深々と頭を下げた。

「毛利治部少輔。終生、お約束致しまする」

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こうして、熊谷信直の娘・美々は毛利元春に輿入れすることになりました。
元春は約束通り、一人の側室もおかず、終生美々のみを愛し続けました。

熊谷信直は毛利方の国人領主として、また毛利家の縁戚として活躍することになり、以後は一門同様の扱いを受けます。

毛利元就は熊谷信直を味方にすることで、安芸国内において、吉川興経を孤立化に成功。
吉川一門の重鎮である吉川経世の内部工作も効を奏して、無事、元春の吉川家の養子入りを実現させました。

信直は元春と共に吉川家移り、共に毛利家の勇将として常に先鋒を務め、後に1万6000石の大名並の所領を与えられることになるのです。

実社会において、出世の為に上司の娘と結婚する例はあれど、有能な家臣を得るために部下の娘と結婚する例は聞いたことがありません。

私は、ここに吉川元春という武将の真髄というか人間味を見た気がするのです。
ラベル:戦国時代 人物伝
posted by さんたま at 22:29| Comment(0) | 軍師官兵衛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする