2014年04月07日

黄金楽土・平泉〜第23回 貞任出陣

厨川柵の東砦攻撃軍である清原武貞の軍勢(第二軍)は、嫗戸柵から討って出た安倍重任の軍勢によって劣勢に立たされていました。父陸奥守源頼義から指揮権を委ねられた嫡男八幡太郎義家は、清原武貞を助けるべく、南砦を攻めている橘貞頼吉彦秀武の軍勢(第三軍)を分け、橘貞頼の軍勢2000を第二軍の増援として動かしました。

それは南砦が東砦を落城せしめた火炎の煽りを受けており、兵で攻撃を仕掛ける必要性が薄かったこと、そして仮に戦いになったとしても、吉彦秀武3000兵が控えておるため、待機させるよりは、押されている東砦の加勢に回す方が得策だと判断した結果でした。しかし厨川柵南砦で出陣の機会をうかがっていた経清はこの機を見逃さず、橘貞頼が東砦に進軍する最中、200兵で南砦を討って出て、橘隊を後方から攪乱したのでした。

(さすがに亘理大夫殿、鋭いところを衝いてこられる)

義家は自らの虚を衝かれて悔しいという思いより、見事、虚を衝いて来た経清に敬意さえ払っていました。橘貞頼隊は予想もしなかった後方からの攻撃に満足に反撃できず、混乱の果てに1000兵近くを瞬く間に失ってしまったのです。

それを南砦の上から見ていた貞任は、あらためて経清の戦上手に感心しましたが、しかし所詮は200兵あまりの軍勢、長時間持つ訳はなく、その勢いも時間とも共に動くが鈍くなるのは必定でした。

「三郎(宗任)」

貞任は宗任に声をかけると

「これより先、砦の指揮はお前に任せる」

と言い放ちました。

「どういうつもりじゃ次郎兄(貞任)」

宗任が聞きます。

「知れたこと。ワシも出陣し、経清を連れ戻すのじゃ」

と答える貞任。その言葉に宗任は慌てました。

「それはならん。兄者は安倍の棟梁、総大将じゃ。総大将が軽々しく出陣してもし命取られたら、そこで戦は終わりぞ」

宗任は貞任を押しとどめようとしますが、貞任はそれをなんなく払い除けました。

「棟梁の座など、そちにくれてやるわ!。経清は六郎(重任)を助ける為に、手勢すべてを率いて出陣した。おそらく二度とは帰らぬ覚悟であろう。我が弟の為に、京の公家の藤原一族に連なる経清が、安倍の婿になったが為に......その経清がもし討死でもしてみろ、安倍の棟梁として、ワシこそ有加に会わせる顔がないわ!」


「それは違う!大夫兄(経清)は、次郎兄が安倍の棟梁として座り続けることが、安倍を守ることと考えたのじゃ。万が一、この戦で敗れようとも、次郎兄さえ生きていれば、棟梁さえ無事なら、安倍は何度でも蘇る事ができる。じゃから大夫兄は!」


「煩い!」

宗任の必死の説得に貞任は一切耳を貸そうとしませんでした。
宗任の言葉を一喝で遮った貞任は

「ワシは経清を連れ戻す為に砦の外に出陣する。三郎、後の指揮はお前に任せる」

と言い残すと、砦の奥に駆けて行きました。

「次郎兄!!」

貞任の耳には宗任の言葉はもう聞こえていませんでした。


一方、南砦の外では、経清の奇襲攻撃により、兵の約半数を失う損害を受けた橘貞頼隊でしたが、四半時(30分)もするとようやく軍勢を立て直し、さらに隊を2つに分け、五百を留め置いて経清の軍勢に当たらせ、残り五百を清原武貞軍と合流させようとしていました。

これにより、遥か彼方に重任の姿を見た経清でしたが、留め置かれた橘貞頼の五百の兵に阻まれて、これ以上の進軍ができなくなってしまったのです。

「ええい。各個勝手な行動を取るでない!まとまって全軍押し出すのじゃ!」

経清は兵を分散している兵たちをまとめつつ、そのまとまりを以て橘貞頼五百の兵に襲いかかりました。
すでに1000の兵を損耗させて士気が上がりまくっている経清の軍勢と、ろくな戦闘もしていない橘貞頼の軍勢では士気が違い過ぎで、徐々に貞頼の五百の兵は押されつつありました。

「その調子じゃ!押せ!押せぇ!」
経清は刀を天に上げ、敵陣に向けて号令をかけてさらに士気を高めます。
しかし、そこへ新たな喚声が背後から経清の耳に聞こえてきました。

「ちぃ!新手かぁ!」

と振り返るとそこには、見慣れた甲冑に身を包み、大刀を振り回しながら馬を駆ける貞任の姿がありました。
その数およそ300兵。

(あの、バカ......)

経清は愕然とした表情を浮かべたのに比べ、貞任はニヤリを笑って、そのまま手勢300を橘貞頼の軍勢にぶつけて、さらに押し上げていきました。

「どうじゃ経清!ワシの300とおぬしの200。これで互角の戦いができるってもんだろうが!」

大声で得意気に言う貞任でしたが、経清は貞任の馬に近づくと馬上から拳を貞任の頬に食らわせました。

「この大たわけが!戦の前線にノコノコでてくる大将がどこにあるか!」

経清の体内には恐ろしいまでの怒りの力が噴上っていました。経清の出陣は、勝手に嫗戸柵を出た重任を、再び柵内に篭城させるためであり、貞任は棟梁の地位にあったため、自分が行くしかないと思っての行動でした。

しかし貞任の今回の出陣は、それをすべてご破算にしまうものであり、経清の戦いが一気に意味のないものになってしまったので、あまりのことに怒りの力を制御できなくなった果ての鉄拳でした。

貞任は、怒鳴り散らす経清を横目でギロっと睨むと

「大将の座なら棟梁の座と共に三郎に譲って来た。どうもワシは後方で指揮を執るより、こういう戦の前線で戦う方が性にあっとるようでの」

「おぬしと言うやつは......」

「それにの、ワシの弟のせいでお主を死なせることの方が寝覚めが悪いわ!我が愚弟の不始末は兄であるワシがつけんとな」

と大笑いする貞任。それを見て経清も体の中の怒りの波がみるみると下がって行くのが分かった。

「目指すは六郎殿をお助けすることじゃ。目的を間違うでないぞ」

「ふん。おぬしに言われるまでもないわ」

「ホントに口の減らぬ奴」

今度は経清が薄笑いを浮かべる番でした。
経清、貞任の両者は刀を頭上で交わし、共に橘貞則軍へ向けて振り下ろし

「押し出せい!!」

と号令をかけました。

(つづく)
posted by さんたま at 10:00| Comment(0) | 黄金楽土・平泉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月24日

黄金楽土・平泉〜第22回 貞任苦悩

安倍氏が立てこもる厨川柵は東砦、南砦、西砦、中央砦の4つの郭に分かれており、それぞれが深い空堀で仕切られているものの、東砦が朝廷軍の火攻めによって陥落。その火は南砦にまで届きつつあり、南砦を守っている貞任は兵に指示を出して、防戦しつつ必死に消火作業に当たっていました。

そこへ東砦を焼けだされた宗任の姿が現れました。鎧はボロボロ、衣服はススだらけ。まるで雑兵のような体裁に誰も宗任とは気づきませんでした。

「次郎兄(貞任)......」

宗任は貞任の姿を見つけ、声をかけましたが、貞任でさえ、一見しただけでは宗任とは分からないほどだったのです。

「三郎(宗任)。その姿は」

貞任は宗任の側に駆け寄って肩をしっかり掴みました。

「東砦が落ちましてございます。申し訳ございません」

宗任は貞任と目を合わせることなく、吐き捨てるように言いました。

「なんの。懸念致すな三郎。この厨川は4つの郭から成り立っておる。1つの砦が落ちたところでビクともせんわ」

貞任は気落ちした宗任をしっかり支えながら、元気づけるように言いました。
事実。東、西、南の砦が落ちない限り、本丸の役割を果たす中央砦を攻めることはできません。
中央砦の北は小高い丘と断崖絶壁のため、天然の要害となっており、鉄壁の守りを誇っていました。

「しかし次郎兄。六郎(重任)が.....六郎が柵を出て出陣してしまったのです 」
「なんだって?」


これは貞任も予想外のことでした。
厨川柵の北東を守っている嫗戸柵(うばとさく)は、貞任、宗任の弟である重任によって守られており、東砦を攻める朝廷軍を牽制する役割を持っていました。

それでも「絶対に砦からは出てはならぬ」というのが貞任の厳命でした。あと2ヶ月篭城すれば冬が到来する。そうなれば寒さに弱い朝廷軍は撤退を余儀なくされる。その時こそ勝機。だからこそ持久篭城戦こそ最善の策だったのです。

しかし東砦が焼け落ちるのを見た重任は宗任を助けるべく、砦を出て朝廷軍に戦を仕掛けました。重任の兵はわずか500余り東砦の朝廷軍はおよそ2000。500兵では一度砦を出れば回りを取り囲まれて挟撃されてしまうのがオチなことは、貞任にはすぐに察しがつきました。

「なんということだ......」

そして貞任はもうひとつ、忘れていたことを思い出しました。

「おい三郎。経清は、経清はどうした?東砦の加勢に向かったはずだが」

「大夫兄(経清)は、負傷した我が手の者を指揮して、中央砦に戻られました。某が南砦に参ったのは、東砦陥落と六郎の勝手な出兵を次郎兄に報告せよとの、大夫兄の命令でございました」

(さすがは経清。抜かりはないわ)

宗任の言葉を聞いて、貞任はニヤリと笑いました。
しかしその時、南砦を攻めている朝廷軍に動きが見られました。南砦から見下ろして左右2つの大隊のうち、左の大隊が東砦の方に進軍していくのが見えたのです。
重任に押され気味の清原武貞を助けるため、源義家が橘貞頼を援軍に差し向けた影響でした。

これは、今の今まで厨川柵を取り囲んでいた朝廷軍の囲みが揺るまった瞬間でした。
そしてこの時に、南砦の門が開き、喚声と共に数十騎の軍勢が門の外に討って出ていったのです。

「な...... ?」

貞任は我が目を疑いました。重任に続き、またしても勝手な行動。そして今度は自らの管理下にある南砦からの勝手な出兵。これは棟梁としての貞任への最大の侮辱でした。

「誰じゃ!勝手に兵を出した阿呆は!」

貞任は怒りのあまり、砦の木杭に自らの鉄拳を力いっぱい打ち付けていました。
門から出兵した数十騎と歩兵合わせて約200兵。貞任はその指揮官をなんとかみつけようと目を凝らしましたが、それが分かった瞬間。二度目の強烈な衝撃を受けるのでした。

「あ......あ......あれは......」

貞任のその後の言葉は声にならず、口をパクパクさせていました。
貞任の姿を訝しんだ宗任も砦の物見台に立ち、そこで見たものは。

「大夫兄.....!」

南砦から出兵した200兵は経清の率いる手勢でした。
この戦いが始まる十二年前、経清が朝廷から安倍氏に味方する際、持っていた手勢は800近くありました。それが度重なる戦いで減り続け、今は200弱になっていました。つまり経清の持つ全兵力を出したということは、戻る気はないという死のへ出兵でした。

「なぜだ!なぜ、あいつはあんなことを!」

貞任は両手に拳を作り、力一杯地面に叩き付けました。

「たった200兵で何が出来ると......」

貞任の苦しみながらの発言に、宗任はハッと気づくところがありました。

「そういえば、大夫兄が言っていた。六郎をみすみす死なせるようなことはしないと」

それを聞いた貞任は、次の瞬間、反射的に宗任の左頬を鉄拳で殴り飛ばしていました。

「馬鹿者!なぜそれを早く言わんか!。知っていたら......知っていたら、みすみす行かせなかったものを......」

「次郎兄......」

「自分のバカ弟がしでかした尻拭いを、経清にさせるわけにはいかんだろうが!」

と言いながら、貞任はさらにもう一発、宗任の左頬を張り倒していました。

南砦を出た経清率いる総勢200兵の軍勢は、南砦から東砦へ加勢に向かう橘貞頼軍2000兵の後方から追い打ちをかけました。柵内から討って出る予想を全くしていなかった橘軍は不意をつかれ、その隊列を見事に乱れさせ、橘軍を混乱状態に陥らせることに成功しました。

(行ける。やれるぞ)

橘軍が混乱している最中こそ、好機。そう考えた経清は、橘軍には目もくれず、橘軍を追い抜き、重任と戦っている清原武貞の軍勢の後方に接触しつつありました。

(つづく)
posted by さんたま at 01:39| Comment(0) | 黄金楽土・平泉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月19日

黄金楽土・平泉〜第21回 義家の苦悩

安倍氏最大最強の砦であり、安倍氏当主、安倍貞任が柵主である「厨川柵」は、東砦、南砦、西砦、中央砦の4つの郭に分かれており、それぞれが深い空堀で仕切られていました。朝廷軍は強風を活用した火攻めを敢行し、その結果、東砦が陥落しました。

安倍氏は、やがてやってくる冬に朝廷軍は耐えきれないと判断。今より二ヶ月篭城すれば雪の季節になり、朝廷軍は士気が落ちる。それまで柵に籠って篭城戦で戦い抜く作戦でした。

しかし、思いもしない東砦の陥落に、厨川柵の北東に位置する嫗戸柵を守っていた安倍重任が動揺し、東砦を攻める朝廷軍を撃滅せんと、貞任の指示を破って柵外に討って出てしまったのです。

これを見た貞任の妹婿である藤原経清は、作戦を立て直すため、貞任には何も告げず、自身の軍勢300騎のみを率いて重任を嫗戸柵に引き戻す事を考えます。しかし柵の回りはすでに朝廷軍に囲まれ、簡単に柵外には出れない状況になっていました。


一方、柵の外の二上川の対岸に陣を敷いている朝廷軍は、東砦の陥落に沸き立っていました。東砦を落とした紅蓮の炎は少しずつ南砦に移りつつありました。

「風よもっと吹け!悪しき俘囚の柵を焼き尽くしてしまえ!」

朝廷軍の総大将である陸奥守、源頼義が東砦を焼き尽くす炎を勢いづかせるかのように叫びあげました。
それを頼義の嫡男、八幡太郎義家は複雑な思いで見ておりました。

義家はこの戦の中において「大義はどこにあるのだろうか」という疑問がふつふつと沸いてきていました。

この戦いの大元は、六年前の西暦1056年(天喜二年)2月、阿久利川付近で頼義配下の者が安倍貞任によって攻撃を受けたという疑いから始まっていました。事の真偽を糾すため、頼義が貞任の身柄引き渡しを亡き安倍頼時に迫り、頼時がそれを拒絶して戦になったのです。

当時からこの阿久利川事件は、頼義の陸奥守任期終了間近におきたこともあって、頼義の謀略だという噂がありました。義家はそこに疑念を持つことはありませんでしたが、父がなぜここまで執拗に俘囚の戦いを望むのかは少なからず疑問に思っていました。

黄海の戦いで経清、貞任の戦いに完全に敗北し、たった6騎で国府に逃げ帰って以来、義家は安倍氏に並々成らぬ憎しみを燃やし、清原氏を口説き落として参戦に導き、結果的に衣川柵、鳥海柵を陥落せしめ、今、最後の厨川柵まで攻め上りました。その厨川柵に初手を攻撃を加え、それに狂喜する父を見て、

「この戦はなんのための戦いなのか」

という疑問が初めて義家の中に生まれたのです。

「この戦いで俘囚を滅ぼすことが、本当に朝廷(帝)のための戦いなのか」

義家は朝廷、俘囚の違いはあれど、我ら朝廷軍を完膚無きまで叩き潰した「黄海の戦い」で指揮をとった安倍貞任、藤原経清の二人には、同じ武士として「自らが越えるべき壁」だと思っていました。それは、ある意味「尊敬」に近い感情だったのかもしれません。それゆえ、ここで俘囚を滅ぼすことのある種の喪失感もまた同じように感じていたのです。

(この戦の大義がどこにあるのか、今は分からん。だが....)
(たとえ安倍が負けたとしても、あの御二方とは是非、生きて対面したいものだ)

そんなことを考えているうちに、東砦周辺の戦いが激しくなってきました。
嫗戸柵を討ってでた安倍重任の軍勢に対するは、清原武則の嫡男、清原武貞と武則甥の橘貞頼の連合軍2000人。重任の率いる兵は500そこそこ。にもかかわらず4倍の兵力を持つ朝廷軍が押されているのはおかしな話です。しかし、それだけ安倍の兵が精強という事実でもありました。

「荒川太郎(武貞)殿の軍勢、嫗戸柵から攻め寄せた軍勢に押されております!」
本陣にもたらされた伝令は、少なからず頼義を慌てさせました。

「ふがいない奴め!」
本陣に控えていた武則が歯を食いしばりながら言いました。
頼義は「ふふん」と鼻で笑うと

「太郎、近う」

頼義が義家を呼び寄せました。
義家は頼義の側に近づき、かしずきました。

「これより先の戦の指揮はおぬしに任す。思う存分を戦ってみよ」

頼義はそう言いながら、采配を義家に渡しました。

「は」

さすがに義家もこれには面食らいました。

「都で「八幡太郎」と呼ばれしおぬしの軍略。ワシと清原に見せつけてくれ」

頼義は囁き声でそう言うと、義家は意を固めて采配を受け取りました。

「誰かある!」

義家は早速声を荒げて兵を呼ぶと

「南砦を攻めている第四陣の橘殿に伝令!軍勢を東砦に回せと伝えよ!但し、第三陣の吉彦殿はそのまま南砦を攻めよとな。」
「承知!」

命令を受けた兵は直ちに陣を発しました。
それを見た武則は

「太郎殿。ご助勢、忝く存じまする。」

と頭を下げました。

「いやいや、気になされるな。すべては戦に勝つ為にござる」

と返した義家は采配を持って、陣の外に出ました。

(おぬしのバカ息子のためにやっているわけではないわ)

あの場にいたら、武則にそう言ってしまいそうな気持ちでした。
義家は戦の状況を自分の目で見、そして自らこの戦を勝ちに導くため、自ら陣の外に立つ決心をしました。
それは自らが戦の采配を振るう事で、いたずらに戦死者を出し、安倍を滅ぼすこと防げるのではないかと考えたからでした。

それは父、陸奥守に対し、義家の初めての反抗でした。

(つづく)
posted by さんたま at 16:44| Comment(0) | 黄金楽土・平泉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする