2019年05月06日

女性天皇と女系天皇について

新しい天皇陛下の即位に伴い、再び「女性天皇」「女系天皇」の議論が起こっています。

ツイッターなどのSNSを見ると、この2つをごっちゃに考えている人が多く、論点が「男尊女卑」「女性蔑視」などに帰結している投稿がものすごく多いですが、この2つは明確に違います。


「女性天皇」とは文字通り、女性の天皇(女帝)です。
歴史上に10代8人の存在が認められていて、その誰もが即位中は「独身」でした。

歴史上最初の女性天皇は、第33代天皇である推古天皇(額田部皇女)です。

当時の有力豪族である蘇我氏の出身で、敏達天皇の皇后でした。
大臣である蘇我馬子聖徳太子など共に政治を行なったことで有名な方です。

この方が即位されたのは、先代32代天皇である崇峻天皇が蘇我馬子によって暗殺され、後継天皇となる皇族が不足していたためです。

蘇我馬子から即位を要請された額田部皇女は、自分の産んだ竹田皇子の即位を希望しましたが、竹田皇子が第2皇子だったため、第1皇子である押坂彦人大兄皇子の擁立を覆すことができず、将来的には竹田皇子の即位を考慮の上、中継ぎとして推古天皇が即位することになったようです。


以後の女性天皇の即位の背景を見ていきます。


・第35代皇極天皇/第37代斉明天皇
この二代の天皇は同一人物で、推古天皇の後を受けた第34代舒明天皇の皇后です。
後継天皇が候補皇子の対立で決定しなかったため、中立的立場である皇后から天皇として即位され、皇極天皇となられました。
「大化の改新(クーデター)」時に弟である軽皇子(孝徳天皇)に譲位されています。

しかし、その孝徳天皇が亡くなると、天皇と仲が悪かった皇太子・中大兄皇子は母親である皇極天皇に再び即位を願い(重祚)、斉明天皇となりました。


・第41代持統天皇
天武天皇の皇后です。
天武天皇の死後、皇后の子・草壁皇子が皇太子となっていましたが、3年後草壁皇子が亡くなってしまいます。
草壁皇子の子の軽皇子は7歳だったため、皇太子に立てられず、その間の天皇として即位しました。
7年半後、軽皇子に譲位し、文武天皇となった後、天皇後見のため、日本史初の「太上天皇(上皇)」となっています。


・第43代元明天皇
草壁皇子の妃で文武天皇の母です。
文武天皇が25歳で崩御し、その遺児である首皇子が7歳であったため、即位しました。
6年後、首皇子は立太子して皇太子となりましたが、元来病弱であり、心もとなかったことから、立太子の翌年、元明天皇は娘の氷高内親王に譲位します。これが元正天皇です。


・第44代元正天皇
元明天皇の皇女であり、文武天皇の姉にあたります。
元明天皇の譲位により36歳で即位しました。
歴代の女帝の中で初の「未婚女性」の即位です。

前述の通り文武天皇の姉であり、文武天皇が14歳で即位するものの元来病弱で、実際在位10年で亡くなっていることから、文武の後を受けて即位する可能性もあったため、未婚だったのではないかと言われています。
9年後、首皇子に皇位を譲り(聖武天皇)、以後、太上天皇(上皇)として天皇を補佐しました。

元明天皇から元正天皇への譲位は、歴代天皇唯一の「母から娘への皇位継承」です。
ただし、父は即位こそしていませんが、天武天皇の皇子であった草壁皇子であるため、男系の血筋をひく女性皇族間の皇位継承となっています。


・第46代孝謙天皇/第48代称徳天皇
この二代の天皇も同一人物(重祚)です。
聖武天皇と光明皇后の間に生まれた皇女にして、史上唯一の女性皇太子でした。

元正上皇崩御の翌年、聖武天皇は出家のため、皇位を阿倍内親王に譲位されました。これが孝謙天皇です。
しかし、これまでの女帝と違い、後を継ぐべき皇太子が存在しないため、その政権基盤は弱く、光明皇太后の後見を受けることになります。

聖武上皇は崩御の際、道祖王(天武天皇の孫)を皇太子にする遺言を残しましたが、道祖王は素行不良で人望がなかったため、孝謙天皇は群臣会議を開いて道祖王の廃太子を決定藤原仲麻呂の推挙により大炊王(同じ天武天皇の孫)が皇太子に立てられました。

9年の在位の後、大炊王に譲位(第47代淳仁天皇)し、孝謙上皇となりますが、上皇が弓削道鏡を寵愛し始めると、藤原仲麻呂および淳仁天皇との間に亀裂が生じ始めます。その亀裂は埋まらず、最終的に仲麻呂が謀反を起こして破れ淳仁天皇は廃位されて淡路島に流されると、上皇は天皇に復位しました。これが称徳天皇です。

なお、称徳天皇は生涯独身で後継を決めずに崩御したため、後継天皇を巡って群臣たちの対立がおきます。
最終的には天智天皇の第七皇子・施基皇子の子・白壁王が皇太子に立てられ、光仁天皇として即位することになります。


・第109代明正天皇
後水尾天皇と徳川幕府二代将軍・徳川秀忠の娘・和子との間に生まれた皇女です。
明正天皇の即位は、御水尾天皇が江戸幕府に対して行なった「嫌がらせ」に匹敵する行為でした。

御水尾天皇は、幕府の意向で自分の寵姫や皇子たちと引き離された上で和子入内を受け入れさせられただけでなく、紫衣事件で自らが与えた紫衣勅許を無効にされたことに嫌気がさし、幕府に通告をせず女一宮(興子内親王)に譲位されました。これが明正天皇です。

明正天皇譲位の際に、天皇は「女一宮に皇位を預ける」とし、「この後皇子が生まれた場合は其の者にに譲位せよ」との意向を出しています。

これを御水尾天皇の退位を「嫌がらせ」と表現したのは、この後御水尾天皇は上皇となり、のちの霊元天皇に到るまで四代に渡り、院政を施いたからです。

明正天皇は約14年間在位し、異母弟に当たる紹仁親王に譲位(第110代後光明天皇)して、上皇/法皇となられました。


・第117代後桜町天皇
第115代桜町天皇の第二皇女にして、第116代桃園天皇の姉に当たります。

本来であれば桃園天皇の皇子である英仁親王が即位すべきところですが、当年5歳と言う年齢であり、また治天の君である上皇も存在しないことから、とても天皇の任に耐える状態ではありませんでした。

また、桃園天皇の時代に、尊王思想を天皇に植え付けようとした天皇の側近を摂関家が幕府に訴えて一掃させた事件(宝暦事件)がおきており、天皇家と摂関家の間にしこりが残っていたことから、成年天皇を中継ぎとして是正を図ると非常手段が取られ、花園天皇の異母姉である緋宮智子内親王が即位し、後桜町天皇となられました。

在位9年の後、英仁親王に譲位されています(第118代後花園天皇)


これら8人の女性天皇に共通することは

・正当な皇位継承者が幼いため、中継ぎとして即位しているケースが多い。
・在位中は皆独身。
・在位はだいたい9年ないし10年前後。

と言うところでしょうか。

すなわち、安定的な皇位継承のために「中継ぎ」として登板された方がほとんどであり、配偶者を持たず、在位が10年以上に及ぶことはほとんどないのが「女性天皇の実態」になります。


これに対し「女系天皇」とはなんなのか。になるわけですが。
「女系天皇」とは「母親のみが皇統(天皇の血統)に属する天皇を指す呼称」になります。

すなわち、天皇陛下の皇女である敬宮愛子内親王殿下皇嗣殿下である秋篠宮眞子内親王殿下、秋篠宮佳子内親王殿下の皆さまが、一般国民の男子と結婚して男子のお子様を儲けた場合、それは「女系男子」であります。

女系天皇を認めると言うことは、「各内親王殿下のお子様が天皇であることを認める」ことになります。

これは、これまで男系男子の伝統を守ってその血脈を継いできた世界唯一の天皇家と言う存在の根本から覆すことに他なりません。

また女系天皇になった場合、世間にどう言う影響があるかを考慮すると、なってみないとわからないところはありますが、天皇の配偶者の一族にそれなりの影響が出ることは必至かと思われます。

もちろん「そうならないように法律で縛ればいい」と言う意見が出るのも承知しております。しかし法律というのは明文化されている以上、その文面の重箱の隅をつつくように弾力的な運用をされるのが普通です。仮に法で縛ったとしても「法の抜け穴」が必ず存在することを考えれば、リスクは非常に大きいと考えられます。

このことに関する議論は日本のためには必要とは存じますが、これを「女性蔑視」や「男女差別」のような一般国民と同じような次元で論じていること自体、些か軽薄なのではないかと思っております。

どこぞの通信社は「世間は女性天皇を容認」などもっともらしく発表して記事にしていますが、どういう質問内容でどういう答えがあったのかなどを公表もせず、数字だけを一人歩きさせるやり方は印象操作に他ならないのではないかと思っています。

この問題はもっと慎重に時間を重ねて考える必要があるのではないかと思う次第です。
posted by さんたま at 18:38| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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