2018年07月02日

鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(94)-鬼神・梶原景時-

西暦1184年(寿永三年)2月7日の明け方、武蔵国の住人・熊谷直実・直家父子と平山季重らが、一の谷の西側にある塩屋口(兵庫県神戸市垂水区塩屋)の平家の陣にに攻めかけたことにより、開戦となったこの戦いは、後世には「一の谷の戦い」と呼ばれるものです。

直実、季重の先陣もさしたる手柄をあげられることなく、後続の土肥実平率いる別働隊七千騎の到着により、塩屋口は一気に混戦模様となりました。

一方、源範頼率いる本隊は、一の谷の東側である生田口(兵庫県神戸市中央区)から攻めかけました。その数、約五万騎。
生田口の平家方の総大将は平知盛(清盛四男)でした。

本隊の先陣も、偶然にも熊谷直実と同じ武蔵国の住人の河原太郎、河原二郎という弓の名手の兄弟でした。しかし、塩屋口とは違い、この兄弟は深入りしすぎて、平家方の弓の名手・真名辺五郎の手によってスキをつかれて討たれてしまいます。

河原兄弟の討ち死に聞いた梶原景時は、自身の手勢五百騎を連れて生田口の平家の陣に突撃をかけました。

景時の軍勢は平家の陣形を崩すのに十分な暴れっぷりでした。だが、それは景時次男・景高が父親よりも先行しすぎて孤立状態となった際に、景時はもちろん、三男・景茂までもが、景高を守らんと獅子奮迅の活躍をしたためです。

「一旦、本陣に戻るぞ!」

景時の五百騎は平家方を五十騎ばかりうち破り、本陣に帰還しました。
しかし、帰還した騎兵の中に嫡男・景季の姿が見えないことに景時が気づきました。

「おい、源太(景季)はどうしたのだ?」

景時は手勢の者に訪ねましたが

「わかりませぬ。源太様の馬は平次様(景高)よりも先行していた様子。もしや敵陣に深く分け入って、討たれてしまったのかもしれませぬ」

「なんだと......」

手勢の者に声に、景時は愕然としつつ、自らの行動を恨めしく思いました。

先陣を務めた河原兄弟が討たれたことで、本隊の士気が下がるのを恐れた景時は、味方の気勢を上げるため、手勢を率いて自ら敵陣に突撃しました。その際、先行していた次男・景高は視界の領域内にいたので、なんとかフォローできましたが、嫡男・景季は視界から外れており、帰陣するまで気にも止めていなかったのです。

景時は景高の姿を見つけて、景季のことを訪ねましたが

「兄者はそれがし(自分)よりも相当前に行っておりました」

という答えが帰ってきたため、景季が景高先行していたことは疑いもないことでした。

「わしの馬を牽け!」

景時は自分の手勢にそう命じると、下男が慌てて、景時の馬の轡を引いてきました。

「父上、何をなされるおつもりです」

景高が尋ねると、景時は黙したまま馬に跨り

「この世に生まれ、今のこの時を生きるは、我が家・子孫を絶やさんがため。しかし、ここで嫡男を失って、わしが生きながらえたとしても意味がないわ。」

「まさか、再び戦さ場に?」

「それにまだ源太が討たれたと決まったわけではない。仮に討たれていたとしても我が目で見ぬうちは信じられぬ!」

そう言った景時は、馬の手綱に檄を与え、再び、生田口の戦場に戻っていきました。

生田口の戦場は敵味方の混戦状態となっており、簡単に馬が分け入れられる状態ではなくなっていました。
景時は大きく息を吸い込み

「平家方の者共、よっく聞けぇぇぇ!!」

と叫び

「その昔、八幡太郎義家公が、奥州の後三年の戦いで、出羽国千福の金沢城をお攻めになられた時、たった十六歳で先駆け、右の目を射抜かれながらもその敵を見事射落とした鎌倉権五郎の末裔・梶原平三。ここにあり!見事我を討って、御大将にお見せしろ!!」

と言葉を続けながらも、混戦状態の敵陣に突っ込んで行きました。

それを見ていた平家の平知盛は

「梶原平三......確か大庭一族の縁者よの」

と馬上で呟くと

「は。平家より源氏に移った裏切り者であります」

と従者が罵りましたが、

「だが、東国では知らぬ者はいない猛者と聞く......皆の者に伝えよ。あの者を討ち漏らすでないぞ!!」

と周囲の士気を鼓舞させて、景時に向かわせました。


この時の景時はまさに「鬼神」と言っても過言ではありませんでした。
混戦状態の戦さ場に馬で分け入ること自体、自殺行為に他なりません。しかし景時は我が身を顧みず、刀を振り回し、馬を縦横無尽に走らせ、奇声をあげながら平家の兵をバタバタと倒していきました。それは何かに取り憑かれた様に見えました。そして口にする言葉は

「源太!梶原源太はどこじゃあ!」

ただそれだけ。景時の鎧にはすでに数本の矢が刺さっており、鬼気迫る表情は、平家の兵を恐れおののかせるのに十分な怖さでした。

そんな中、景時は生田口の崖の下に、景季らしき鎧をつけた武者を発見しました。
すでに馬は矢で射抜かれて、近くに横たわっており、景季らしき武者自身も鎧に無数の傷を受けていました。
その武者の左右には、郎党らしき者二名が景季を守るかのように、平家の武士五人と戦っていました。

「源太!そこかぁ!」

景時は即座に馬をそこまで走らせると、即座に馬から降り、刀を地面に突き刺して景季のそばに寄りました。

「父上.....?」

景季は自分の目の前に父がいることが信じられない様子でした。

「はっはっは!まだ討たれたおらなんだか!源太!」

景時は、幾度も景季の鎧をバンバンと叩いて、景季を正気にさせました。
景季の意識がはっきりするのを確認した景時は、景季を背にして平家の兵に向かい合うと

「平家の者どもよ。ようも我が愚息をいたぶってくれたものよ。ここからはこの梶原平三がお相手仕る!命知らずはかかってまいれ!」

と言うと、地面に突き刺した刀を勢いよく抜き、敵に構えました。

「平三様.....」

二人の郎党も顔を見合わせ、気を持ち直して、平家の兵に相対します。そして源太も崖に寄りかかっていた体を起こし、太刀を抜きました。

「いやあああああ!」

景時が喚声をあげながら、平家武士五人の前に太刀を大きく斬り下げました。五人はサッと身を交わし、景時を取り囲むように散ると、今度は左右の両脇から平家武士が景時に斬りかかってきます。それを刀で受け払ったのは景季の郎党二人でした。

「見事!」

それを見届けた景時は、正面の平家武士三人向けてさらに踏み込んで素早く太刀を横一文字に太刀を流しました。景時の手には相応の手応えを感じました。二人の武士の胴と手から鮮血が吹き出ました。しかし、鎧に阻まれ、傷は浅い者でした。

それを見た左右の平家武士も傷を負った二人のところまで引きと、二人を庇ってジリジリと後退していきます。

「立ち合えや!立ち合え!」

景時は刀をだらんと下げ、さらに平家武士との間を詰めるべくゆっくりと歩を進めますが、まるで磁石が反発するかのように平家武士はジリジリと後退し、やがて「退け!退くのじゃ!」と一人の武士が叫んで、全速力で撤退していきました。

敵の撤退を見届けた景時は振り返って、景季のところまで戻ると

「進むも退くも戦機による。その戦機を読む目を早う身に付けよ。源太」

と声をかけ、景季は無言で頷きました。

「陣へ帰るぞ!」

景時は景季の郎党に命じ、景季と共に馬を駆けて陣所に戻りました。

生田口、塩屋口の戦いは一進一退で、どちらが優勢か劣勢かはにわかには見定めにくい状況となっていました。
その状況を一の谷の北側の「鵯越」からじっと眺め、「戦機」を伺っている一団がありました。

(つづく)
posted by さんたま at 11:37| Comment(0) | 鎌倉時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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