2017年02月11日

戦国武将なのに日記をつけていた上井覚兼という男

アマチュア歴史研究家である自分にとって、尊敬すべき研究者は何人かいるのですが、その中の一人に、新名一仁先生(文学博士/鹿児島大学・志学館大学非常勤講師)がおられます。

新名先生は宮崎県宮崎市のご出身で、今も宮崎市にお住まいですが、宮崎県内において学芸員資格を持たれている数少ない貴重な人材であらせられます。

▼新名先生の略歴
http://researchmap.jp/kniina/?lang=japanese

新名先生はこれまで、日本中世史において数々の論文、著作を表されておりますが、その研究成果を正しく評価することができない方々が某所いらっしゃるようで、溜息しか出ません。

新名先生の著作は下記リンクをご参照ください。
http://amzn.to/2lALVco

その新名先生曰く、「今日、2月11日は、「上井覚兼(うわいさとかね/かくけん)の誕生日」だということです。

はい、みなさんの疑問はごもっともです。

「誰やねん、それは!(笑)」

と思われることだと思います。

この人は戦国時代の薩摩(鹿児島)島津家の家臣なのですが、我が郷土・宮崎県にゆかりのある人なのです。

西暦1545年(天文十四年)2月11日、大隅国上井(現在の鹿児島県霧島市国分上井あたり)の領主であった上井薫兼の子として生まれた覚兼は、西暦1559年(永禄二年)の元服(成人式)と共に、薩摩・大隅国主である島津貴久に仕えました。

西暦1571年(元亀二年)に貴久がなくなると、貴久嫡男(後継ぎ)の島津義久の側近となり、西暦1576年(天正四年)からは、島津家の老中(行政担当)の一員となります。

覚兼は、義久の戦いの多くに参加しましたが、彼の運命を大きく変えたのが、西暦1578年(天正六年)に、高城川原(現在の宮崎県児湯郡木城町付近)で起きた「高城川の戦い」です。

一般的には「耳川の戦い」とも言われているので、ご存知の方のいらっしゃるのではないかと思います。

この戦いは、島津義久に日向国(現在の宮崎県)を追放された伊東義祐が、日向にカムバックしたいために、親類の豊後(現在の大分県)の戦国大名・大友宗麟に泣きついて、宗麟が日向国に攻め入ったものでした。

この時の大友軍の兵力は約4万

対する島津義久は3万の兵でこれを迎え討ち、見事、大友軍をギッタギタに大敗させた上、大友家の有力武将を次々と冥土送りにしました。この結果、大友氏は勢力を失い、二度と日向に攻め込めないほど消耗してしまいます。

一方、この戦いで日向国の支配を確立した義久は、西暦1580年(天正八年)、覚兼に宮崎地頭(領主)に任じ、宮崎城に入るように命じました。宮崎城は現在の宮崎県宮崎市の北部、池内町にあった山城です。

この時の覚兼は、現在の宮崎市全域を直接支配しつつも、佐土原城(現在の宮崎県宮崎市佐土原町上田島)主の島津家久(義久末弟)と連携して、新納院や穆佐院(要するに宮崎平野一帯)に対しても「島津家の代官」として命令できる権限を持っていたと言われます。

ただし、軍事権まで委任されていたかはわかりません。

覚兼が日向支配を行ったのは、西暦1587年(天正十五年)3月、羽柴秀吉が九州征伐の一環で、日向国に攻め寄せるまでの7年間でした。今風に言えば、宮崎県知事を約2期つとめたことになるのでしょうか。

覚兼は武将でありながら、教養人としても非常に優れており、「上井覚兼日記」なる日記を現代に残しています。
この時代、日記をつけているのは公家か歌人か僧侶くらいで、現役の戦国武将がつけている日記は非常に珍しいものです。

また、彼が日記をつけているのは、西暦1574年(天正二年)から1586年(天正十四年)の十二年間で、つまり彼が宮崎城で過ごした日々が(ところどころ欠落はあれど)記録されていることになります。

内容は、だいたいお仕事(政務)のことが多いのですが、また国内に起きている問題について、誰にどう相談して、どういう意見が出ていたとかの人間のやりとりが、かなり克明に記録されています。

それでもなかなかに面白いのは、出た意見に対して「あれはおかしい」とか「納得いかない」とか個人的な感情や、「◯月□日、誰々さんと酒を飲んだ」みたいな個人的な親交ものまでちゃんと記録されているところです。ひどいのになると

「この日は大酒を飲んだので、仕事を◯◯さんに代わってもらった」

みたいな「オイオイ!」と突っ込みたくなるようなものまで(汗)。

多分、戦国時代にFacebookがあったらこんな使い方されるんだろうな、と思った次第です。

なお、この日記は現在、東大史料編纂所に所蔵されており、同編纂所が発行している「大日本古記録」にも収録されていますが、中古でも5万円近い値段なので、なかなか手が出せません。

前述の新名一仁先生が現代語訳をブログに挙げられていますので、興味のある方はご参考までに。
http://sangoku-nyuto.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306094100-1
posted by さんたま at 15:50| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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