2016年06月05日

二度と得ることはできない歴史資料・民俗資料を軽視している自治体に未来はあるのか?

数日前、信じられないニュースが飛んできました。
宮崎県児湯郡木城町の教育委員会が、町教委が保有・管理する民俗資料のうち、700点を誤廃棄していたというニュースです。

▼歴史民俗史料700点誤廃棄 木城町教委 [宮崎県](平成28年5月27日/西日本新聞)

報道によると、町教委が保有している資産リスト(台帳)には757点の史料が記載されているのですが、実際に保管しているのはわずか50点にしか過ぎないということです。つまり残る727点の史料が所在不明という驚くべき事実が発覚したというものです。

さらにこれらの行方不明の727点の史料は、保管されていた旧中央公民館を解体した際に、「担当職員が不要と判断して廃棄した」というから二重の驚きです。

加えて、この発覚は去る2年前の2014年に、史料を預託した町民の遺族が史料の返還を希望したところ、当該史料が存在しないため、誤廃棄が発覚したとのこと。つまり、廃棄されたものの中には「町民から善意で預託されたものも含まれていた」ということになります。

木城町としては2015年7月に学識者3名による第三者委員会を設立し、調査を開始。町長、町職員17名に聞き取り調査を行って、今年6月に報告書を出すということでした。
そして6月1日に、その報告書が出されましたが、そこにはもっと驚くことが書かれてました。

▼文化財収集条例のない町、民俗資料を無断廃棄(平成28年6月4日/読売新聞)

記事によると、これまで「誤廃棄」とされていたのは「町による無断廃棄」という事実が明るみにでました。
旧中央公民館に所蔵されていた歴史・考古史料は506点民俗史料は251点計761点だった模様。
この中には町民から預託されたものも数多くあったようです。

これらの資料は1971年に旧中央公民館の展示室に町が資料を保管されていましたが、2009年に旧中央公民館取り壊した際、当時の教育課長が「ガラスケースに入っているものは保存し、それ以外は捨てろ」所有者の許諾を得ないまま、自分の独断で廃棄を指示し、産廃業者に引き渡したということです。

これはもう、怒りを通り越して呆れるレベルです。
教育課長と言えば、町の教育全般を司る現場責任者です。つまり当初「担当職員が」と報道されていたのが、実は「責任者」だったわけです。その責任者が町民から「町の教育に役立ててください」と預託された史料を、独断で廃棄とか、私には行政マンという以前に、一人の人間として狂ってるとしか思えません。

結果として、歴史資料53点、民俗資料228点、計281点が「無断廃棄」されたと報告書には記載されてます。

ただし、これは廃棄されたと確実にわかっている分のみですから、報道では触れていませんが、現在残っている資料が50点ほどだとすると、差分の400点近くは今もなお行方不明ということになります。

どんだけ杜撰なのでしょう。

▼これはいかに行政が歴史を軽視しているかの表れ
本件についてはもっと驚くべきことがありました。

まず、この歴史資料・民俗資料の内容を記載した平成8年に作成された管理台帳は「菓子箱に入った状態」で見つかっています。通常、これらの台帳はきちんと整理整頓され、いつでも取り出せるように管理されるべきものです。それが菓子箱に入ってるということは、いかに木城町がこれらの財産をいい加減に取り扱っていたかがよくわかります。

さらに、この問題の発覚は2012年に預託した人物の遺族が返還を申し出たことで発覚してます。
第三者委員会が発足したのは2015年7月です。
この3年間、木城町は何をしてたのでしょうか?

本件について木城町の半渡英俊町長は

「無断廃棄という不祥事は、寄贈・寄託した住民の厚意を踏みにじる行為で、心からおわびする。信頼回復に努め、再発防止に取り組みたい」

とコメントを出していらっしゃます。
この方は2015年から現職ですので、この問題の発生時に当事者ではありませんが、前職は木城町副町長です。すでに町政に関わっていたのですから、本件を知らないはずがないと思います。

そして、2012年に問題が発覚してから現在に至るまで、木城町には文化財の収集・公開を定めた条例が存在していません。要するに本気で「再発防止に取り組みたい」と言うなら、問題発覚から3年が経過してるわけですから、すでに当該条例が定められてしかるべきなんです。

それを今頃「再発防止に取り組みたい」とか、どの口がおっしゃるのでしょうか。
とはいえ、第三者委員会が発足したのはこの方が町長になられて3ヶ月後ですので、この方が町長になられてからこの問題が皆の知るところになったのは、大きいとは思いますが、いずれにしても、動きがトロすぎます。


▼宮崎県の行政における歴史認識のレベルの低さを露呈
そして、私はこの事件をもって、宮崎県の行政における歴史認識のレベルの低さを痛感しました。
本件については、1人の担当者が勝手にやったことならともかく、町役場の教育課長の職にある人間が独断でやることでしょうか。

そして、その課長にとってもこれら歴史・民俗資料は「ゴミ同然」という認識しか持ってなかったということがなによりもショックなことです。

他部署の行政の人間が「こんなもの捨ててしまえ!」と言うならまだわかります。しかし教育課長は「いやいや、これには◯◯の価値があり、非常に重要なもの」と真っ先に反論すべき立場の人間のはずです。

それが率先して独断で、なおかつ預託されたものを所有者に連絡も取らずに廃棄とか、一体何を考えてるのか、本当に理解に苦しみます。

木城町には、日本の歴史に少なからず影響を与えた「新納院高城」と呼ばれた難攻不落の城があります。
九州の覇権を賭けた大分の大友氏4万対島津氏3枚の戦い。九州を支配下に置きたい羽柴秀吉の弟・秀長10万対島津氏3万の戦い。いずれもこの城が舞台となっております。

こういう歴史的に価値の高い事実や事象も、木城町町役場にとってみれば「取るに足らんもの」と思われているのかもしれないと思うと、なんとも悲しくなります。

遠い過去から伝えられている歴史資料・民俗資料は、大量生産ができなかった昔においては、二度と得ることがない貴重なものであります。それを後世に伝えていくことも行政の大きな使命であると自分は考えます。

そのことを、木城町役場の皆様はもちろん、宮崎県における文化財に携わる行政の方々に是非とも理解を頂きたいと、1人の歴史研究家として、切に願ってやみません。
posted by さんたま at 18:23| Comment(5) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
よくコメントしてくださいました 私も 鎧を預けた一人です 前町長田口氏とは 公文書をもらい 町の為に努力する 必ず 解決いたしますと言っていながら 退職し しらん顔して また 被害者が 弁護士
Posted by 永友 清隆 at 2016年07月22日 09:04
Posted by 永友 清隆 at 2016年07月25日 07:49
>永友 清隆さん
コメントのご確認及びご返信が遅くなりましてすみません。
お預けになったのは鎧(甲冑)ですか、それも廃棄されてしまったのでしょうか。。。何ということでしょう。
Posted by さんたま at 2016年11月21日 00:55
遅くなりました 今東京にて 裁判を 行っています 役場のうそを 暴き出す為 頑張っております 加害者 が 弁護士をたてて 公文書まで。だしているにもかかわらず 前町長田口氏が ひつこく言われたので 書いたと 弁護士から 文章が 届きました なんせ すべてが
いい加減と うそのかたまりです
もし よかったら 電話くださいますか 080-1029-0050 永友清隆 
Posted by 永友 清隆  at 2017年02月11日 11:34
>永友 清隆 さん
ご返信ありがとうございました。裁判......そこまでの話になっていたのですね。残念ながら私は弁護士ではないので、何のお力添えもできませんが、永友様の満足のいく結果が出ることをお祈りいたします。
Posted by さんたま at 2017年02月11日 12:16
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