2016年03月20日

真田丸解体新書(3)後北条氏初代・伊勢盛時について(前編)

真田丸解体新書の第3回は、腹黒さ満点の北条氏政(演:高嶋政伸)と、すぐにプッツンする突発性凶暴症の北条氏直(演:細田善彦)の父子についてです。

現在、真田丸のドラマの中(天正壬午の乱)で、争っている徳川、上杉、真田、北条の四氏の中で、唯一、大河ドラマ主役になったことがないのが、この「北条氏(後北条氏)」です。

私の世代(昭和49年生まれ)の世代にとって、戦国時代の北条氏とは「たった一人の素浪人から大名にまでのし上がり、関東地方全域まで勢力を拡大した大大名」という認識が殆どだと思われますが、昨今の歴史研究では前半部分はほぼ否定されています。

なので、今回は、上記の前半部分に当たる北条氏の初代について語ってみたいとおもいます。

▼北条氏の初代とは誰か?
北条氏の初代は「伊勢盛時(通称:新九郎)」という人間です。
一般的には「北条早雲」という名前の方が知られていると思います。
氏政から数えて四代前になりますから曾祖父になりますか。

この者は、応仁の乱で戦った氏素性もわからなく名もなき武士の一人で、仲間と一緒に京都を落ち延び、姉が嫁いでいる今川家の御家騒動を助けて、駿河に城をもらい、さらに室町幕府の堀越公方を攻め滅ぼして、伊豆一国を横領したと言われていました。
さらに小田原城主の大森氏を攻め滅ぼし、伊豆・相模の戦国大名となった「下剋上の典型例」とまで言われていました。

ところが、近年の研究で、これは幾つか間違いであることが判明しています。

1、伊勢盛時は素浪人ではない
伊勢氏という姓は、室町幕府の政務機関である「政所(まんどころ)」の長官を世襲していた一族です。
盛時はこの伊勢氏の傍流・備中国荏原荘(岡山県井原市)に土着した「国衆」備中伊勢氏の出身であることが、現在の通説になっています。

さらに盛時の父と言われる伊勢盛定は、本家である京都伊勢氏・伊勢貞国(政所執事)の娘と結婚して、盛時を生んでいることから、「一介の名もなき素浪人」どころか「室町幕府に仕える身分高き幕臣」の生まれだったわけです。


2、今川家の御家騒動は幕命としてのお仕事だった。
盛時の出世話として有名なのが「今川家の家督相続を収拾した褒美に駿河国興国寺城を貰った」という話で、これは盛時の姉が今川家当主・今川義忠の正室だったためと言われます。

この御家騒動というのが、西暦1476年(文明八年)に駿河国守護職・今川義忠が遠江国(静岡県)で、遠江国守護職・斯波義良所属の国衆に討たれて戦死したのが発端です。

本来であれば嫡男である龍王丸(盛時の甥)が後を継ぐのが筋なのですが、義忠の遠江国侵攻は幕府への反逆に通じており、その結果、駿河守護を奪われる可能性も生じたことから、今川家臣たちの多くは、死んだ義忠の従兄弟である小鹿範満という人を後継に擁立しようとしていたのです。

これだけなら普通の御家騒動なのですが、これを「勢力拡大のチャーンス!」とばかりに、関係もない室町幕府伊豆出張所の堀越公方・足利政知と、関東管領の扇谷上杉家の重臣・太田道灌が小鹿範満に味方を表明したため、嫡男・龍王丸の立場が危うくなってきました。

亡き義忠の正室・北川殿は「お父さん助けて!」と、父・伊勢盛定に手紙を送ります。
盛定は、騒動が駿河一国だけでなく、伊豆国及び室町幕府の出先機関である堀越公方や関東管領上杉氏などに及んでいることを知ると、政所執事・伊勢貞親(貞国の嫡男/盛時の従兄弟)に相談します。

幕府、鎌倉公方、関東管領というこの三機関は室町時代全般を通して浅からぬ因縁がありました。この時点で鎌倉公方は滅亡していますが、関東管領上杉氏は健在で、この騒動に乗じて関東管領が力を盛り返すことを良しとしなかった貞親は、盛定の子・盛時に事態の収束と駿河下向を命じました。

盛時は策略を使い両者の間に入って、話し合いを設け、龍王丸成人までの間、小鹿範満が今川家の家督を代行する形で事態を見事収束させました。


3、駿河守護代へ
騒動後、盛時は再び京都に戻り、父や貞親の仕事の手伝いを重ね、西暦1483年(文明十五年)、室町幕府九代将軍・足利義尚の申次衆に就任します。立派に幕臣の仲間入りです。さらにその四年後には将軍側近である幕府奉公衆へと順調に出世を続けていました。

しかし、奉公衆に任じられた同年の西暦1487年(長享元年)、駿河国で今川家家督代行を務めていた小鹿範満が、龍王丸に家督を返上しない騒動が起き、再び駿河に下向。駿河館を襲撃して範満を討ち、龍王丸に家督を継がせることに成功します。

龍王丸は元服して「今川氏親(今川義元の父)」を名乗ると、盛時にお礼として駿河国興国寺城(静岡県沼津根古屋)を与えたと言われます。この後の盛時は今川家の顧問として守護代的な立場で甥っ子である氏親を補佐しつつ、室町幕府奉公衆としての仕事もこなしていましたが、じきに彼自身の運命を変える時がやってくるのです。

(つづく)
posted by さんたま at 19:03| Comment(0) | 真田丸解体新書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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