2016年03月20日

鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(31)-社改め-

西暦1180年(治承四年)8月23日、源氏の御大将・源頼朝は平家方の武将・大庭景親と戦い、大敗しました。

頼朝は土肥実平の進言を受け軍を解散。
頼朝自身は土肥一族に守られながら逃げ延び、道で出会った箱根権現別当・行実の弟・永実の導きで、一時、箱根権現に身を隠すことになったのです。

永実が頼朝一行を先導し、箱根権現の社内に入ろうとしたのですが、すでに大庭景親の手の者が権現の山門を固めていて、敷地内に入ることが難しくなっていました。

とはいえ、山の中腹でウロウロしていては、逆に目立って見つかってしまうと考えた永実は、取り急ぎ、箱根権現の社外にある自分の小屋の離れに入ってもらうことにし、自分は単身、権現内に戻って兄に頼朝の無事を伝えることを考えました。

頼朝一行は永実の離れ小屋で一息つきましたが、椙山で軍を解散して以来、すでに1日以上、何も食物を口にしていないため、小屋に入るなり、体をなげうつように床に倒れこみました。

「少々狭くて申し訳ないですが、ここでしばしお休みくだされ。私は社に戻って何か食べ物と水を持ってきます。」

永実が膝をつき、そう言って、座を立とうとすると、

「永実殿、この者を使ってくだされ。」

土肥実平が七郎丸に供を命じました。

「この者は我が屋敷にて下働きをしていた者にござるが、手先が器用で、体もすばしっこい。なによりも我らの一行の者とは思われんはずじゃ。供として連れていけば、なにかと役に立つ。」

そう言われた、七郎丸は永実の前に正座をし、手を地につけて平伏しました。

「今の私にとっては猫の手も必要なほどです。ありがたい。」

永実はそう言って、七郎丸を手招きして座を立ち、社の方に駆けていきました。

「さてさて、一難去ってまた一難か。」

実平の娘婿である岡崎義実がぼやくように言うと。

「ここさえ越えられれば、先も見えるじゃろうて。正念場じゃ。」

と実平弟の土屋宗遠が言いながらゴロンと転がりました。


一方、箱根権現の本殿では、箱根権現別当・行実が、平家方の大庭景親、俣野景久、梶原景時に対し、一歩も引かない構えで臨んでいました。
景親らは椙山での頼朝の捜索を止め、周辺で頼朝が籠もれそうなところを片っ端から接収、探索しており、箱根権現にも協力を要請したのです。

景親は、自分たちが平家の軍勢であることを強調し

「相国入道様の命令によって、源氏の大将・右兵衛佐探索のため、この箱根権現は我らが接収する。よって別当には御協力いただきたい。」

と要請しましたが、行実はギロッと三人を睨むと

「なーにが、相国入道様じゃ。そやつがどれほどのもんか知らんがの。わしらは土肥三郎様の庇護によって、この地に住まう領民を安んじる役目を課せられた者。相馬御厨や俣野のガキに指図される覚えはないわい!」

と逆ギレで三人を威圧してきました。

「このバカ坊主が。。。」
行実にガキよわばりされた景久が立ち上がって刀に手をかけたところを

「まぁまぁ、お鎮まりなされ。」
と景時が刀の柄を押さえて、景久を強引に座らせると

「箱根権現の別当の職にある者を手にかけたら、後が大変でござるぞ。」
と耳打ち景久の怒りを鎮めました。

それを見ていた行実は

「ほう......おぬしは物事の道理をわきまえておるようじゃの。」
と景時の行動に感心すると、景親に向き直り

「やい、大庭の三郎。そこの物事の道理のわかっている武士に免じて、今のそちの弟の無礼は堪えてやる。だが接収とは何事ぞ。この箱根権現は天平年間よりこの地を守護する畏敬の存在。おぬしら武士のいいようにできるものとは違う。だが、それではおまえの顔もたつまい。よって、社改め(敷地内の家探し)だけは認めよう。」

「誠でござるか」
景親は座を一歩前に進め「かたじけない」と平伏しました。
永実はすっと立ち上がり「ただし」と前置きして

「もし、その右兵衞佐とやらがおらなんだら、即刻、兵を退かせて、二度とこの社に踏み入れることは許さんからな、その覚悟があるなら、社改めでもなんでも勝手にせい。」

と吐き捨てるように言うと

「さっきから偉そうにグダグダ言いやがって、後悔するぞクソ坊主!」

と、景久がまた激昂して、行実に殴りかかりました。景時は今度も止めようとしましたが間に合いませんでした。
しかし、行実は影久が繰り出した拳をなんなくかわし、次の瞬間、行実の正拳が景久の顔面を割っていました。

「あ...が.....」
不意をうちをくらった景久は白目をむいて、体をグラグラさせて後ろにバッタリ倒れました。
それを見た景時は眼をまん丸に広げて驚愕の表情を浮かべざるえませんでした。

「わしをみくびるなよクソガキ.......おまえみたいなヒヨッコ侍でやられるほど老いてはおらんわ。」
行実は左手をブラブラと降って、景久の顔面を割った痛みを散らせると

「よいな、大庭三郎!もしそれ以外の条件を出そうもんなら、この箱根権現別当の名において、おぬしをここで討つ!」

と声高に叫ぶと、部屋の四方の板戸がバーンと外れ倒れて、景親、景久、景時を取り囲むように槍を携えた僧形の者が三人を取り囲みました。

(さすがは箱根権現の別当、やることにぬかりはないわい)
景時は苦笑しながらもそう感心すると、

「三郎殿、ここは選択の余地がありませんな」
と景親を諭すように言うと、景親も「あいわかった」とうなづきました。

「承知いたしました。ご協力に感謝いたします」

景親はそう言って、景時と気絶している景久を連れて、広間を後にしました。

行実はそれを見送ると、その場に腰を落とし、まわりの僧兵たちに「退け」の合図をすると、槍を構えた僧兵たちは一礼してサッと引いていきました。その後ろには、さきほどから成り行きを見守っていた行実の弟・永実が七郎丸を連れて控えていました

「兄上」

永実が疲れた表情の行実に声をかけると、行実も永実に気づき

「おお、戻ったか」

と安堵の表情を浮かべ、自分の方に手招きすると

「それで、いかがであった?」

と永実に尋ねました。永実はにっこりわらって

「万事、兄上の仰せのままに」

と答えると、行実は目を大きく開けて

「そうか.......ようやった」

と永実の肩をなんども叩きました。

「して、佐殿(頼朝)はいずこか」

「社外の私の小屋の中にかくまっております。ただ、長時間の不眠と空腹で難儀されているご様子。それゆえ、庫裏(台所)から食糧を持ち出す許可を頂きたく存じます。」

「わかった。好きにしろ。さっき見ていたと思うが、大庭三郎ら平家の武将たちの社改めがまもなく始まる。それが終わるまでは、小屋から出られるなと佐殿にお伝えしろ。」

「承知しました。」

「あまりコソコソ話をしていて怪しまれては敵わんからな、行け。」

「はっ」

永実は行実に一礼すると、七郎丸を連れ、社奥の庫裏に駆けていきました。

「さあて、大庭の三郎め。次はどんな手でくるかな?」

この状況を不敵にも楽しんでいる行実の姿がありました。

(つづく)
posted by さんたま at 15:12| Comment(0) | 鎌倉時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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