2016年03月13日

真田丸解体新書(2)室賀氏について

大河ドラマ「真田丸」の解説カテゴリー「真田丸解体新書」の第2回は

「黙れ!小童ッ!!」

が口癖の、西村雅彦さんが演じている室賀正武(むろが まさたけ)にスポットをあててみたいと思います。


1.室賀氏とは
信濃国小県(長野県上田市、東御市、小諸市の一部)を治める国衆の一人で、真田氏と同格の存在です。お隣の信濃国埴科郡(長野県長野市、千曲市の一部)を治めていた、村上氏庶流・屋代氏の分家で、屋代氏とは互いに養子縁組を繰り返していました。

その関係から、当初は村上氏当主・村上義清(信濃国の葛尾城主)に従属していましたが、義清が武田信玄に敗れて越後の上杉謙信を頼って亡命すると、屋代氏が武田信玄に臣従し、本家に従って室賀氏も武田氏に臣従します。

当時の室賀氏の当主は室賀行俊(兵部大輔)で、武田氏に臣従後は、信玄(晴信)の片諱である「信」の字を頂戴し、諱を「信俊」と改めます。以後は武田方の多くの戦いに参戦しましたが、織田・徳川連合軍VS武田勝頼の舞台だった「長篠の合戦」で戦死し、本家である屋代氏当主・屋代政国の弟の満正が「室賀満正」となって室賀氏を相続します。

この室賀満正が、「真田丸」に登城する室賀正武の父にあたります。
正武は満正の三男になります。

2.室賀正武とは?
室賀満正は、織田信長による甲州征伐(天目山の戦い)によって武田氏が滅んだ西暦1582年(天正十年)四月に亡くなっており、その後の家督を継いだのは、正武の弟で、満正の五男・室賀満俊であると「寛政重修諸家譜」には記録されています。

つまり、公式には正武が室賀家の家督を継いだ記録はないことになります。
おそらく、正武は室賀氏の本流ではなく、傍流の独立した別家ではないでしょうか。

じゃあ、満正亡き後、室賀家の家督を継いだ満俊はどうしたかというと、正武の弟で満俊の兄にあたる父・満正の四男である秀正が、主家・屋代家の家督を相続して「屋代秀正」を名乗り、上杉氏に従属していたので、それを頼って満俊も上杉氏に従いました。

しかし、やがて上杉景勝から徳川家康に鞍替えし、兄・秀正を上杉家から徳川家に引き込むことに成功します。

室賀満俊、屋代秀正の両名はその後も徳川家に仕え、江戸幕府成立後、徳川家の旗本として、その家を代々つなげていくことになるのです。

では、別家として独立していた正武はどうなったかというと。。。それはネタバレになるので、ドラマを見ていただきましょうか。

(つづく)
posted by さんたま at 19:05| Comment(0) | 真田丸解体新書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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