2015年08月14日

鎌倉幕府が出来るまでの黒歴史(8)-以仁王の令旨-

後白河法皇の第三皇子である以仁王(もちひとおう)は、源頼政との会談で大きなヒントを得ました。都の武家はほぼ平家で占められていましたが、武家は都の外にもいること、そして都の外にいる武家は平家以外のものが多いことを知り、王の中の反平家の野望は沸々と湧き上がっていきました。

しかし、王には、全国に散らばる武家へその思いを伝える術がありませんでした。そこで、自身の養母である八条院ワ子内親王に相談することにしました。八条院ワ子は、日本全国に二百か所以上の広大な荘園を支配し、その財力と権力は天皇家も無視できないほど強大な存在となっており、その権力をもって良いアイデアがないかを頼ったのです。

ただし、王の考えをそのままワ子に伝えたところで、諌められてるか、下手すると平家に密告されて終わりの可能性もなくはありません。そこで、王は「日本国内に散らばっている諸国の武士に、御上(天皇家)の意向をすみずみまで行き渡らせるため、某の思いを託せる家人を一人お借りできないか」という神妙な願いの切り出し方をしました。

ワ子は「なにゆえそのような」と訝しみましたが、以仁王の弟(高倉上皇)が「治天の君」であることから、御上を思う気持ちの発露は殊勝なことでもあり、特に反対する理由がありませんでした。ただ、ワ子も万が一のことも考え、自らの家人を使うことはせず、八条院に馴染みのある熊野新宮別当に相談をし、熊野の食客の中から、武術の心得のある者を一人選び出させました。

その選び出された男が、新宮十郎義盛(しんぐうじゅうろうよしもり)という男でした。
父親はかつて保元の乱で敗れた源為義(清和源氏の棟梁で源義朝の父)の子で、平家の追っ手を逃れるため、名を変えて熊野新宮の食客(居候)となっていた男でした。

ワ子は、この新宮十郎という男に八条院領の蔵人の官職と巡察使の権限を与えると、新宮姓を本姓の源氏に戻させて「源行家(みなもとのゆきいえ)」と改名させました。八条院領は天皇家の領地であり、その蔵人の職は誰に憚られることなく、自由に諸国を巡ることができたからです。

また、新宮の姓は熊野新宮別当職に連なるため、その名をもって諸国を歩かせるのは危険であることと、万が一面倒なことになった場合、源氏の一族であれば、自身に火の粉が降りかかることはないはずというワ子ならではの計算でした。

ワ子は行家を紹介して以仁王に引きあわせると「あとはよしなに」とだけ伝えて、すぐに座を立っていきました。
行家は王の目前でただ平伏しているだけでしたが、王が座を立って行家の目の前で座り直すと。

「聞くところによると、そなたは去る保元の戦で父を亡くしたしたそうじゃな」
と語りかけました。

「仰せの通りにござる」

「それ以来、熊野におったのか」

「平治の戦の後、平家の手による源氏の残党狩りが続きましたゆえ、姓を変えてこれまで熊野別当殿のお慈悲で生かされておりました」

行家は平伏したまま、王の質問に答えていました。
王は座を立って、自らが座るべき場所に戻ると「面をあげよ」と行家に言いました。
行家はおそるおそる顔を上げました。

「その方、平治の戦の後、同族の者がどこに散ったのかおよその検討はついておるか?」
以仁王が質問を続けます。

「はっ。まずは信濃の木曽冠者殿。駿河の蒲冠者殿。そして伊豆の右兵衞佐殿.......」
行家はやや目を伏せがちに遠慮しながら答えました。

「なるほどのう。他に勢力を張っている武家はどれほどおるか?」

「私が存じ上げるのは、奥州平泉の藤原、下総の千葉、相模の伊東、あたりかと」

「ほう。そんなにいるのか.......」
以仁王はやや驚いた感じで感嘆の声を上げました。

「おそれながら」
行家は床に手をついて、目を伏せながら言いました。

「王はそれがしに何をせよと仰せられますのでしょうか?」
これを聞いた王は「あっはっはっは!」と大声で笑いながら、

「これはすまぬ。まだ用向きを話しておらなんだな。許せ」
と笑いながら言いました。
王はひとしきり笑った後、真顔に戻り、行家の顔をじっと見つめました。
行家もごくりと生唾を飲み込みました。

「良いか蔵人。そなたはこれより我が書状を携え、全国に散ったそなたの同族の源氏と、有力な武家勢力に我が思いを届けてもらいたい」

「ははっ」

「これは御上の御心を安んじるがための大事な役割である。決して軽輩者にはできぬことと心得よ!」

「ははっ!」
行家はまた頭を地につけて平伏しました。
以仁王はそれを見て満足げにうなづいていました。そして

「これがその書状の写しである」

と行家に渡しました。
行家はその書状を仰々しく受け取り、中身を拝読すると怪訝な顔をしました。
そのサインを見逃す以仁王でもありませんでした。

「いかがした?」
以仁王は行家に遠慮はいらぬから、思う所をありていに申せと促しました。

「おそれながら」
行家は書状を元に戻しながら、居住まいを正して言上しました。

「かような書状を日本各地の武家にお届けしたところで、全くの無駄にございまする」

「なにぃ!」
以仁王はスッと立ち上がって、行家の目の前まで歩き、ドカッと座りました。

「私の思いが通ずることはないと申すのか?」

「滅相もない。王のお考えはよくわかります」
要領を得ない行家の回答に、以仁王の方がイライラし始めました。

「では、何故じゃ?」

返答次第ではただでは済まさぬ、と言わんばかりの眼力で行家を射抜いているかのようでした。
行家はそれに動じることなく

「これは王が地方武士に宛てた、ただのご機嫌うかがいのお手紙にすぎませぬ」
とだけ答えました。

「へ?」
拍子抜けしたのは王でした。
ぶっちゃけ、行家の言ってることがよくわからなかったのです。

「王は畏れ多くも御上に連なる天皇家の一族であらせられます。その王が、地方の武家程度に『何かあったら味方してね(はあと♪)』的な単なるお手紙をお出しになるとは、情けない限りに存じます!」

行家の言っていることはあながち間違いではありませんでした。この書状は以仁王が現在の院や天皇家を憂う内容で、都に一度変事あれば、上洛して助力を賜りたいという控えめなもので、まさに「ご機嫌伺い」というレベルのものだったのです。

「ではどうしろというのじゃ」
以仁王が吐き捨てるようにいうと

「勅命としてお出しすべきです」
と行家は即座に答えました。
行家は院宣や宣旨のように、院や天皇家の名において、地方武士に命令を下す書状をだすべきだと言ってるのです。

「あのなぁ、蔵人よ。私は王であって親王ではない。従ってミカドのように、宣旨等の文書を出せる立場にないのだ」
王が吐き捨てるようにつぶやくと、

「そんな中途半端な気持ちで何ができますでしょうか?」
と行家が答えます。

「王の心底に沸き起こる思い、この行家、先ほどの書状を一読して、わかった上で申しております。その思いがゆるぎなきものであれば、自らの書状にできる限りの正当性を高めて、全国の地方武士の旗印となられるべきかと存じます!」

行家はまたしても手と頭を地につけた状態で平伏しました。

「ゆるぎなき信念か。。。なるほどのう」

王はため息をつきながら、振り返って行家に背を向けました。
王は、ここに至るまで、日本各地の武士の心を一つにし、いざ変事あればその心の力をもって、御上を守ることを第一に考えていました。しかし、自らが親王ですらない、皇族としての身分は下位に甘んじている現状、自身の書状で武家がどれだけ動くのか、動かせる力があるのか、それを行家に直球でぶつけられたのでした。

(私の信念がゆるぎないものかそうでないかは、結果が証明するだろう)

そう思った王は、再び行家に向き直り、
「蔵人よ。そなたの言い分、もっともである。しからば、今一度、お主のその知恵を貸せ」
「この蔵人の知恵でよろしければ、喜んでお貸し致しまする!」

こうして、世に言う「以仁王の令旨」が生まれることになるのです。

(つづく)
ラベル:鎌倉 源平 京都
posted by さんたま at 00:52| Comment(0) | 鎌倉時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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