しかし冷静な頼政は「某も齢七十を越え、諸処、思うところありまして…」としか答えません。
王はアテが外れたとばかりに気落ちして
「なんぞ入道相国(清盛)への意趣返しかと思ったが…」
とポロッとこぼしてしまい、「しまった」と狼狽しました。
そして、頼政はそれを聞き逃しませんでした。
頼政自身、以仁王の不遇な境遇は知っているものの、自ら平家に近い身であるが故に一定の距離感を取っていました。しかし、今の頼政は家督を嫡男仲綱に譲った隠居出家の身であり、平氏政権から距離を置くに連れて、自らの一門と源氏一族の将来を憂い、さらには朝廷全体において平家一門の一人勝ち勢力は極めて不条理であると考えるようになっていました。
ゆえに、今の以仁王の一言は、王が反平家への意思を持っていることを頼政が窺い知るのに十分でした。
(これは、利用できるかもしれん......)
頼政の頭の中に黒き野望が沸々と滾り始めていました。
一方で以仁王は「わざわざ呼びつけて悪かったな。長年の御苦労大義であった」とだけ上の空で言うと、座を立とうとしました。その時、頼政は意を決して「恐れながら」と言葉を発します。
「んー?」
以仁王は「まだ何かあるのか」と言わんばかりの怪訝な目を頼政に向けました。頼政は手を床に着けて平伏したまま、言葉を続けます。
「恐れながら、王は何やらご心痛のご様子。しかもその原因は入道殿にあるとお見受けしましたが」
と申し上げると
「そういうわけではないがの。上皇の兄にあたる我が身が未だに親王宣下も賜われぬ状況は、平家の覚えがよろしくないからに相違あるまい。我が母は平家の出ではないからな」
と王が吐き捨てるように答え、そのまま歩き出そうとしますが、頼政が言葉を続けます。
「それであれば、平家一門の娘を女御にお迎えなされませ。そうですな、入道殿の御嫡男、内府(宗盛)殿のご息女とかいかがでございましょう。なんならこの三位が宜しく取り計らっても......」
と頼政が言上しようとすると
「黙れ!源三位!」
と王が遮りました。
「今更平家に取り入ってなんとする......そのようなことができるなら当の昔にやっておるわ!」
王は右手に持つ笏をブルブル震わせながら、頼政を怒鳴りつけました。
(これは......やはり)
頼政は以仁王の中にある反平家の思いをしっかり確認しました。
「これは......申し訳ございません」
と平伏して暴言を詫びる頼政ですが、「さりながら」と言葉を続けます。
「今の世の中、確かに平家の振る舞いは意気盛んであります。しかし気落ちなさることはありません。世の中の武士のすべてが平家ではありません。日本各地にはまだまだ力を持っている武士団がたくさんございます。平家がもし天に唾する行いをすれば、その者たちが平家に対し対抗する勢力となるやもしれません」
頼政は平伏しながら一通り言うだけ言うと、以仁王が頼政の真ん前に座り込み、「その勢力とは?」と尋ねました。
頼政は
「まずは園城寺や興福寺と言った寺社勢力でしょうな。彼らは法皇様の院政停止を快く思っておりません。また、我が源氏の一族は、去る平治の戦で諸国に散っており、力を蓄えております。さらに先の清盛殿の独裁政治で領主としての地位を失ったものが数多くおり、これも束になれば平家に対する勢力になりましょう」
以仁王の目にキラッと一筋の光が宿りました。
それを見た頼政は「よし」と思いましたが
「私めがこれを王に申し上げたのは、平家だけが武士ではないということでございます。武士の力は日本全国に散っております。王が本当に御上(天皇家)の御為のことをお考えあるのであれば、王の激に呼応する者は都の中ではなく、都の外におりましょう。決して都の武力だけでお考えになりませぬよう…かつ、お力をお落としになりませぬよう。」
とあくまでも王を慰めるための言葉であることに含みを持たせつつ、深く頭を下げました。
頼政が屋敷を辞した後、以仁王は自室に籠ってある思索に耽りました。
王は、平家の力の及ばない武士の勢力が都の外にあったことに初めて気づいたのです。問題はその力をいかにして結集するか。そのヒントも王は先の頼政の言葉の中に見つけていました。
「あとは、私の思いをいかにして諸国の武士に届けるか......」
ついに以仁王はある決断を下します。
(つづく)