2015年04月05日

島津に『待った』をかけた男「大友宗麟」(20)-前哨戦-

1.大友勢動く(第一の戦い)
西暦1578年(天正六年)十月二十日早朝、両軍が緊迫する関係の中、動き始めたのは大友勢でした。突如軍勢を動かし、城の外側を囲んでいた木柵を押し倒し、高城本丸がある半島型台地の下まで迫ると、島津勢が崖を登れないように設置された防御板に火をかけて瞬く間に焼き払ったのです。

一方、高城内の兵たちは、本丸の崖の上から熱湯をかけて大友の火攻めを消そうとしたり、燃え尽きた防御板を超えて崖をよじぼってくる大友勢に、大石の雨や鉄砲を射掛けて敵兵をよせつけず、防戦一方でした。しかしながら、大友勢も高城の崖は断崖絶壁でよじ登るのも一苦労、その上頭上から湯や石など様々なものが降ってきてはダメージも激しく、成果もあがらずでどんどん兵の士気がさがっていき、数時間後には一旦城から離れて退却しました。

台地から離れて平野部にて陣を張り、体制を整える大友勢に対し、本丸部分の外壁に鉄砲を並べて近寄るものあらば即座に射かけようとする島津勢。にらみ合いが数刻続きました。


2.鉄砲隊同士の戦い(第二の戦い)
同日昼を過ぎた頃、大友勢に再び動きが見られました。大友勢も千近いという鉄砲隊を用意し、再び高城本丸の半島型台地に攻めかかったのです。待ってましたとばかりに台地上の高城外壁の島津勢鉄砲隊が火を吹きます。しかし、島津勢の鉄砲隊はわずか百足らず。大友は千に近い鉄砲の数。絶対数で確実にかないません。瞬く間に台地下にとりついた大友勢の鉄砲隊が、台地下から台地上の島津鉄砲隊を狙い撃ちました。

当時の鉄砲の有効射程距離はおよそ100〜200メートル。台地の高さが60〜70メートルであれば、有効射程距離内ですが、頭上に向かって撃てば、重力の関係上さすがに思ったように届きません。

ましてや島津勢鉄砲隊は城の外壁に守られ、地に伏せて鉄砲を構えており、大友の鉄砲玉が命中することは殆どありませんでした。その上、当時の鉄砲は一発撃って続けてもう1発撃つには、火薬、弾込めなどの作業が必要で、連射が全くできなかったのです。

こうなると同じ鉄砲隊でも全く意味合いが違ってきます。大友勢鉄砲隊は数の上で島津勢鉄砲隊を上回ってますが、頭上に向けて撃つため命中精度が悪く、また一発撃ったら最後、再び弾込めしてる間に島津勢鉄砲隊の餌食になってしまいます。

一方で島津勢鉄砲隊は大友勢鉄砲隊の十分の一ですが、城内にいるため、防備が完全な状態で火薬や弾込めが可能で、可及的速やかに二発目を撃つことが可能でした。

当初千近かった大友勢鉄砲隊は、成果は上がらない上に次々に島津勢鉄砲隊の格好の的になってしまい、次々と骸を台地下に広げていきました。そしてやがて再び撤退命令が出されるのです。


3.混合部隊の戦い(第三の戦い)
同日夜、完全に日没となった頃、大友勢は三度目の戦いを挑みました。今回は残った鉄砲隊と一般の槍兵とを合わせた混合部隊を組み、大声で鬨の声をあげて台地下に攻めかかったのです。

文献だけ読むと、とにかく大声を上げて城にとりついて攻めかかるという「もうほとんどヤケクソのような攻め方」にしか見えません。この三度目の戦いも島津勢には殆ど死傷者なく、大友勢のみに損害がでただけというなんとも無駄な戦いでした。


4.ついに島津義久動く。
さて、前回、高城城主・山田有信が大友勢が城下に展開していることを鹿児島に急使としては派遣したと書きましたが、その知らせは翌日には鹿児島の島津家当主・島津義久に伝わっていました。

義久は鹿児島から本隊を派遣する前に、島津一族で都之城城主(宮崎県都城市)の北郷時久(ほんごう ときひさ)に援軍を出すように伝令を飛ばしました。

北郷氏は、南北朝時代、島津宗家四代当主・島津忠宗の六男の資忠よりはじまる由緒ある家系で、足利将軍家より直々に薩摩迫庄内(現:宮崎県都城市山田町あたり)の領地を賜り、北郷氏を称したことから始まります。時久はその十代目当主にあたります。

義久から命令を受けた時久は嫡男相久、次男忠虎と共に数千の兵を率いて都之城を発し、宮崎城(宮崎県宮崎市瓜池内町)に入りました。

高城攻めの前哨戦は大友勢の手痛い敗北に終わりましたが、迎撃する側の島津氏の体制は着々と固まりつつありました。大友勢はこの3度の戦いの損害がひどいせいか、翌二十一日には動きはなかったようです。そして城の包囲網を厳重固めるように方針を転換させました。持久戦の様相を呈してきたのです。

(つづく)
posted by さんたま at 15:44| Comment(2) | 戦国(安土桃山時代) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大友氏をあたりながら見つけました。まさか、リアルタイム?の記事作成とおもっておらす、思わず 続(21)のページをを探してしまいました。人物評と事象が程よく書かれて、大変に興味深く拝読させていただいております。続編を心待ちにしております。P.S.小田原の大友は自宅から川を挟んで目の先になります。
Posted by サイモン at 2015年05月05日 18:15
>サイモンさま
コメントに気づかず申し訳ございませんでした。
本シリーズはまだ未完ですが、必ず完結させますので、もう少しお待ち下さい。
Posted by さんたま at 2015年08月22日 12:59
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