2014年12月31日

島津に『待った』をかけた男「大友宗麟」(17)-近づく両雄対決-

▼県土持氏の滅亡
西暦1578年(天正六年)三月十五日、宗麟は、日向国の戦国大名・伊東義祐および日向国でゲリラ活動を行っている伊東の旧臣の要請により遂に日向国出兵を決意。まずは大友を裏切って、島津に寝返った県土持氏を滅ぼすため、当主義統に日出・玖珠・宇佐の兵を率いては宇目(大分県佐伯市)に本陣を置かせ、県(宮崎県延岡市)攻めの最前線としました。

県松尾城(宮崎県延岡市松山町)に立て篭り、迎撃態勢をとった県土持氏当主・土持親成は、島津に援軍要請を行います。しまし、伊東の旧臣で門川城主(宮崎県東臼杵郡門川町)の米良四郎左衛門や、石ノ城(宮崎県児湯郡木城町)に潜伏していた長倉勘解由左衛門尉が蜂起して土持氏と島津氏の間の連絡を遮断、県土持氏の孤立化に成功しました。

同年四月七日、大友軍は日向国入りし、社ケ原(宮崎県延岡市夏田町・稲葉崎町・無鹿町一帯)に布陣しました。ここで、大友軍は県領内の神社仏閣をことごとく焼き払いました。これは宗麟の野望である「この地にキリスト教王国の礎を築くため」であると言われております。この結果、寺社建築から仏像、古文書の類いまで宮崎県北の文化財がことごとく破壊、焼失しており、宮崎県の北部地域の近世以前の一次史料が、ほぼ壊滅する原因になりました。

宗麟は、重臣・佐伯惟教に県土持氏の居城、松尾城を攻め落とすように命じます。惟教は親成の娘婿でした。戦になる前から惟教は親成に降伏するように再三再四働きかけ、宗麟との仲介の労をとりましたが、結果的に戦になり、彼は傷心の極みの状態にありました。その惟教に松尾城攻めが下ったのです。

しかし、惟教は最後の賭けとして、惟教自身が松尾城を攻め落とし、親成を捕虜にして助命を乞うことを考えます。惟教は見事、県松尾城を落とし、目論み通り親成を捕縛することに成功しますが、宗麟は親成の助命は許さず、親成は豊後国への移送中に豊後浦辺にて自害しました。ここに平安時代より続く県土持氏は滅亡することになります。

宗麟は、県土持氏を滅ぼして日向国北部の脅威を取り除くことに成功、勢力を安定させた後、惟教に、「牟志賀」(現延岡市無鹿町)に着陣するようにに命じ、一旦全軍を豊後に兵に退かせます。ここで、一旦、島津氏がどういう動きを取るのか、また伊東の旧臣たちがどう動くかの模様を見ることにしたのです。


▼島津氏の対応
大友軍が、県土持氏を滅ぼして県地域を完全に制圧すると、島津に臣従した伊東の旧臣である門川城主の米良四郎左衛門や石ノ城の長倉勘解由左衛門尉が蜂起したことで、高城川(宮崎県児湯郡木城町)以北の日向国を大友の勢力下におくことに成功しました。

では、この間、島津氏は何をしていたかというと「何もしていませんでした」(汗)。
大友から島津に臣従した県土持氏に援軍のひとつすら送れなかったことを考えると、していないというより、「出来なかった」のではないかと思われます。

まず西暦1578年(天正六年)二月、島津義久は伊東義祐を追い落として日向支配の論功行賞を行っている時期であり、日向国内の各城主もこの頃に確定しています。つまり新体制に移行したばかりで、敵への迎撃態勢が整う前に大友が攻めてきたわけです。

また、島津の対伊東最前線が日向国の高原城(宮崎県西諸県郡高原町)から飫肥城(宮崎県日南市)にかけての山峰ラインだったのですが、伊東氏の没落、県土持氏の島津氏への臣従で県地方の最北まで最前線が北上しており、その最前線に最適の布陣ができていたとは言い難い状況だったと思われます。


▼島津の反撃
西暦1778年(天正六年)六月、県土持氏の滅亡を知った島津義久は、島津忠長(義久の従兄弟)、伊集院忠棟(島津家家老)に、兵7000を与え、島津勢力の最北に位置する高城(宮崎県児湯郡木城町)の真正面に位置する大友方の石ノ城を攻めろと命じます。

しかし、石ノ城は断崖絶壁の上に築かれた天然の要害です。なおかつ深い天然の渓流に守られており、その防御能力は格段に高い要塞でした。

同年七月、島津忠長、伊集院忠棟の両名は、石ノ城に対して攻城戦を仕掛けますが、その防御能力と、伊東氏の再興を願う長倉らの決死の戦いぶりに成す術はなく、500兵以上の損害を出し、忠長は負傷という大敗を喫します。忠棟はこの状況を鑑み、体制を立て直すために高城よりはるか後方の佐土原城(宮崎県宮崎市佐土原町)まで撤退することを決めました。

同年七月二十日、忠棟の報告を聞いた島津義久は、もはや大友との戦いを避けられないと悟り、実弟である島津義弘、歳久、家久を集め、島津四兄弟の総力を挙げて、大友と雌雄を決することを誓います。

大友と島津、北部九州の雄と南部九州の龍が激突する時は歴史の必然というところまで来ていたのです。

(つづく)
posted by さんたま at 17:59| Comment(0) | 戦国(安土桃山時代) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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